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2週間ほどブログが止まっていました。洗浄米です。

ブログに飽きたとか、記載することが無くなった訳では無く、慌ただしい日々でありました。

去る10月1日に、私の唯一の家族であった祖父が仏になりました。
享年108歳
行年109才
大往生でした。
10月1日の夜は天気が良く、満月が見える中息を引き取りました。

敬老の日を迎え、施設にてお祝いをして頂き、県知事と市長にお祝いの言葉を頂いたりしておりましたが、ここ2~3週間は元気が無い状態だったそうです。

だったそうというのは、このコロナ禍という異常な時だった為、基本施設は感染防止の為に面会謝絶となっていました。
特には私は埼玉県に住んでおり、他県住みということと東京に出かけることが多かった為、会いに行けなかったこともあり直接は見ていませんでした。
施設からの定期連絡では、ここ最近は食が細くなっていたそうです。
痰が出て、血中の酸素濃度が通常90%以上のところ時々70%まで落ちることがあり、一度は病院に緊急搬送して検査をお願いしたのですが、年齢から見ても数値的に悪いところがなく身体的には入院しても意味が無いと診断されました。
老人ホーム担当病院の先生、搬送先の病院でも同じ見解の為、老人ホームに戻った次第です。

そのような時に、私と言えばこのコロナ禍などもあり就活は順調とは言えない為、貯金をあまり崩さないようにする為に短期のアルバイトを入れつつ就活をしております。
この報告を受けて、まず一番に気がかりになったのは葬儀代と檀家として所属している寺へのお布施代、そして納骨と戒名を刻む際に掛かる石屋への費用でした。
お爺さんの体調を心配しないのかと怒られそうですが、何事も先立つものはお金です。
そこで、万が一に備えて少しでも足しにしようとこの2週間ばかり日払いのバイトも入れていた次第です。(何事もなければそれに越したことないが、これはぽっくり行く可能性もあるぞと当時は思ってました)

祖父は何と言いますか宵越しの銭を持たないという性格もありますが、若い時に医者から50歳まで生きれれば御の字だと言われたそうで、まさか100歳を超えて生きるとは思わず保険関連など粗方70歳あたりで現金変えて生活費に充てていたそうです。
祖父の貯金がほぼ無い状態にて、唯一の収入は国民年金のみ。足りない分は、私が負担していました。
今思えば、困った爺様ですね・・・w

さて、施設に戻った爺様ですが、時折呼吸が浅くなることもあり、施設側からこの先何があるかわからず今後の対応についてホーム担当の先生も話をしたいということで特例として是非会いに来てあげてくださいと連絡をもらいました。
面会日は10月1日になりました。

食が細くなっていると聞いたので、祖父の好きな食べ物を少し持っていきホームに行きました。
まだこの時は先生の見解ではまだまだ大丈夫なのではないかということで、今後どのように対応するかを協議し、元気が無いので発破をかけてあげてくださいと言われて祖父と会いました。

会った時の祖父は食が細くなった為かかなり痩せており、声が出ない状況でした。
ただ意識ははっきりしており、孫の私の事もしっかりと認識していました。
ただ、声が出ず筆談をしようとしたのですが、腕に力が入らずにかなり辛そうだった。
会いに行く予定日の2日ぐらい前からは食事を欲しがらず水しか欲しがらなかったそうです。
それでも、施設の方が少しでも食べようと説得して少ないながらも食事を摂っている状態でした。
筆談を止め、「はい・いいえ」の意思表示で意思疎通をし、これはもう・・・と頭に過り最期の質問は

「言い残すことはあるか?」

そして、祖父は首を振りました。
疲れたのか眠った様なので、ここで私は帰ることに。
施設の職員の方々から退出する道中に話を聞きましたが、数日前までは会話が出来、事あるごとにお礼を言っていたそうです。
これを聞いて、

「あ~、やっぱりこれはもう自分の死期を悟ったな・・・」

と思いました。
この話を聞く前は、もしかしたらまた気持ち的に持ち直すかもしれないと思っていました。
なぜなら、102歳の頃にも入院した際に気持ちが落ち込んだのか食事を摂らず身体的に弱まってしまい、母ともう駄目かもしれないねと話していました。
しかし、何かきっかけがあったのか気持ちが持ち直し、退院することができるぐらいには回復したことがあったのです。

そして、埼玉への帰途にて、18時頃に祖父の呼吸がまた浅くなったと報告を受け、19時30分に大宮駅にて乗り換えを待っていた時に呼吸が止まったので戻ってこれますかと連絡を受け、再度老人ホームへ戻りました。
病院の先生から説明を受け病気などは無かった為、死因は

老衰

となりました。
最後に孫である私に会って、良しとしたんですかね。

そこから、互助会に入っていた葬儀屋に連絡をし、叔母の家にも連絡をして叔母から喪主である自分に葬儀の流れは任せるので手伝いが必要なことはどんどん連絡するように言われました。

祖父の場合は、高齢により既に親兄弟、友人や知り合いは皆亡くなっている為、今回は叔母一家や親戚だけが葬儀に参列するだけなので通夜葬儀は行わず、私も他県住みということもあり住職に相談して火葬式にし、納骨の時に懇ろにお経を頂く形にしました。

10月4日に火葬式を行いまして、親戚に助けてもらいつつ何とか終えることが出来ました。

住職が言うには、108歳まで生きての大往生でしたので、お迎えがくるというよりはもう仏様のようなもんだそうです。戒名は、特別な戒名を頂きました。
そうですね、本当に呆けもせずここまで生きたのだから、生き切ったと思います。
まさに、天寿を全うしたと言えるでしょう。
悲しくはないのですが、やはり寂しくはあります・・・

爺様、これまで有難う、そしてお疲れさまでした。

母を送り、祖父を祀り、これにて自分の気持ちの中で本当に介護を終えたという区切りが付いたと思います。
あとは、四十九日の納骨となります。

親類はいますが、これにて我が家は私独りとなりましたとさ。

さて、喪中はがきの準備を始めるとします。

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